経験の定義を学生に聞くと、「体験を通して気づいたことや思ったこと」、「印象に残ったこと」といった答えが多く返ってきます。しかし、これらは厳密に言えば経験の記憶にすぎません。私たちが経験を説明するために用いている時間・空間の尺度は、現実世界における方便なのです。
意識現象世界には時間・空間を統一する尺度(yardstick)があります。この尺度とは、西田[2019]の言葉を踏まえれば一瞬の知覚であり、継続的な連想や思惟などの想像であり、反芻(はんすう)する記憶です。(第2講 尺度の描写より抜粋)同様にレインは、『自己と他者』の中で、「想像、記憶、知覚は、経験の三つの形式である」[レイン1975]と指摘しています。
経験では、三つの尺度によって「過去、現在、未来、つまり時間一般が属している」[マトゥラーナ1994]だけでなく、空間さえも超越します。これらの説を踏まえて私は、経験とは顕在的な自伝的自己の記憶ではなく、その直前に束的に発火する直観の連なりであると捉えています。前述した夢が潜在意識における経験であり、その内容が顕在意識での経験の記憶なのです。そして私は、この理解をより図るために新たな仮説を加えています。それが三つの意識尺度の座標軸にあたる視座(standpoint)という概念です。すなわち想像には、対象と主観の関係性を踏まえた視座が存在すると考えます。これを「自」の視座とします。一方、知覚は感性と直結しています。それは扁桃体を中心とする神経線維回路(Yakovlev回路)を介して直情的に作用するのです[竹村2009]。これを「我」の視座とします。最後に記憶は前経験からの認知的な作用と言えます。私はこれを「超自我」の視座とした上で、経験とは直観が視座空間を連なる延長意識であると捉えているのです。(第3講 経験の視座より抜粋再構成)
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