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広義FDとしての「セルフスタディ」とは?

執筆者の写真: 竹村哲竹村哲

更新日:7 日前

大学教師に課せられた最も重要な教育的使命とは、未来の“学識ある市民”を育てることです。そして私は「FD(Faculty Development)とは、そのための教育の質を問う活動である」という考えを支持しています。では“良い質の教育”とは何かと自問するならば、僭越ながら、その答えが失敗に生産的な意味を見いだしうる教育学びの自立を後押しする教育ではないかと思っています。激変する世界、衰退する日本、今後何が起こるかわからないが大きな変革(パラダイム転換)が起きるであろうことは予想するに難くはありません。ならば成果主義に育った教師にただ素直に従い今の社会風潮に適応する学生を養成することより、むしろ対話によって無明を知らしめ答えのない試練に臨ませることで教師に倣わず対時できる素養を彼らに託していかなければならないと思っているのです。ただし、これはあくまでも私の私見にすぎないし、当然ながら教科の特性も関係してさまざまな考えがあり反論もあろうかと思いますが、少なくとも言えることは、学生を想うすべての大学教師は、FDという概念が外国から導入される以前から、教育臨床を通じてその在り方を問いそして改善を図ってきているということです。しかし、残念な事に大学では教師の経験的な学びや教育観をパブリックに共有することはこれまであまりなかったし、むしろ同僚への信頼感、そして謙虚さも加わってその必要性もあまり感じてはいなかったように思います。組織としての教育理念についてもそれほど関心を持たないでいました。その結果として近年我々は、政策として一部のFD専門家の正論に従いあまねく基準をトップダウン的に設けこれを(第三者に向けた)教育の質として代替させてしまうことを許してしまってきているのです。今後その報いとしてある種の落胆とともに、臨床で教育の質を問い続けてきた教師が易しく自分の専門知識を切り売りするだけの教員へ、あるいはより研究に傾倒する者へと変容することによって組織の教育力が一層形骸化してしまうことを恐れます。

このような想いから私は、狭義のFDである授業改善だけでなく、むしろ広義のFDとして組織開発するための新しい概念を展開しました。それがセルフスタディ(自己研究)です。(※『自己と関わりの創造学ーセルフスタディの教育研究ー大学教育出版2012より抜粋加筆)



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