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わかるための「見方・考え方」とは?

執筆者の写真: 竹村哲竹村哲

更新日:3月6日

俗に言う〝分(ふん)別のある人〟とは、一般には良識のある人として捉えられています。しかし、前述したように仏教では、分(ぶん)別とは煩悩です。後天的なこだわりの見方・考え方と言えましょう。そして近代における代表的な分別と言えるものこそが、これまで言及してきた実験科学の見方と考え方なのです。すなわち、観察者(observer)として対象を客観的に分析するというシステマティック(systematic)な思考が、社会に広く深く浸透しています。(第4講 システミックな思考への発展より抜粋)

私は、わかるには三つの段階があると思います。つまり、言葉がわかる概念がわかる、それに対する自らの思いがわかるです。私たちの多くは、日本語でなければほとんど何も伝わりません。共通語であれば相手の言っている言葉を再構成することで概念理解ができます。しかし、それだけでは本当にわかったとまでは言えません。再構成した概念に対して感慨を持つ必要があるのです。(立論の特徴より抜粋)

既に述べたように学びは統覚体系の変容です。客観的に分析するだけでは概念が分かっても感慨を持つまでには至りにくいと言えます。意識現象世界の当事者(insider)として変容する見方・考え方もなくてはいけません。これは、システミック(systemic)な思考に相当します。したがって本当にわかるためには、システマティックからシステミックな思考へと見方・考え方を発展する必要があるのです。(第4講 システミックな思考への発展より抜粋加筆)

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