西田[西田2019]は、「因果律は世界に始がなければならぬと要求する。しかしどこかを始と定むれば因果律はその原因は如何と尋ねる、すなわち自分で自分の不完全なることを明にして居るのである」として、機械的な因果律の捉えの不全性を指摘しています。彼は、因果律は「我々の意識現象の変化を本として、これより起った思惟の習慣である」と捉えています。そして、それは「ヒュームのいったように、或る現象の起こるには必ずこれに先立つ一定の現象があるというまでであって、現象以上の物の存在を要求するのではない」と述べているのです。その上で、「無」に関しても、「意識の事実として見れば無は真の無ではなく、意識発展の或る一契機であると見ることができる」と指摘しています。(第2講 意識現象世界の特徴より抜粋)
因果律と無とは?
更新日:2 日前
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